名犬ロンドン

 子供の頃動物の出てくるテレビ番組が好きで「名犬ラッシー」と「名犬ロンドン」は欠かさず見ていました。ラッシーは家族に愛され楽しく暮らしているのだけれど、ロンドンは天涯孤独のシェパードで原題は「The Little Hobe」Hobeとは貨物列車に無賃乗車し、あちこちを気ままに旅しながら季節労働をしていた人たちのことだそうですが、ロンドン君は特定の人間に仕えず放浪生活を送り、正義を愛し、列車にただ乗りし飛行機に便乗して世界のあちこちで事件に遭遇し、弱きものを救っていくのです。人々の間で起こる難問題の解決に向けて、影から手助けをする。関わり合った事件を解決すると、いつの間にか街を去っていく。彼はいつも一匹で生きていて、主題歌の歌詞も「見知らぬこの街 さまよい来れば はるかな想い出 胸によみがえる 友を求め行く 旅は果て無き さすらい」というものなのでした。

 

 素晴らしい花見日和だった昨日とうって変わって、今日は雨がしっかり降っていて、午前中は谷中を回ってやって来たオレゴン州からの五十代のゲスト夫婦は靴も洋服もかなり濡れていました。ルーマニアと香港のゲストが来た時もずいぶん雨が降っていたけれどしっかりした靴を履いていたので、雨コートを着て靴で柴又へ行ったのですが、今回は履いている靴下もびしょ濡れなので、すぐ脱いでもらってまず足袋ソックスにチェンジして、今日は二時から英会話レッスンに行く夫に前半を急いで手伝ってもらい、紬の単衣を着せ刀や弓でファンキーな写真を撮ってから、二階の鎧や長火鉢や神棚など、日本家屋の説明をしてもらいました。二人とも数学の先生で共に一人っ子、お子さんはいなくて三匹の犬を飼っていて旅行が大好き、60か国を回りベストワンはコロンビア、肉は食べずエアビーの体験もたくさんしているとのこと、なぜ私の体験のレビューがこんなにアメイジングと書かれているのか不思議に思っていると言われ、でも私はこの悪条件の中でどうやって二人きりの体験を組み立てるか考えながら、履物は下駄にしてスリッパや替えの足袋ソックスやタオルをたくさん持って、和傘を差した二人と柴又へ向かいました。

 履き慣れない下駄に奥様のアンジェラは苦戦し、マスクを忘れたので電車の中では蛍の模様の扇子で口元を隠す姿がみやびやかで、写メを撮ろうとすると眼鏡をはずすのも可愛いのです。冗談ばかり言う旦那さんのマニュエルは野球が好き、レッドソックスの話で盛り上がり、吉田、上原、松坂と続々名前を挙げたり、株もやっているので夫と真剣に持っている銘柄を教え合っていたけれど、雨がひどいのですぐお寺の中に入ってからはベストショットポジションを教えてたくさん写真を撮り、仏教彫刻の前では「キリスト教と仏教」について話し、口を開けた龍の彫刻の前では「阿吽」についてアンジェラと真剣にトークしあいました。そのうち雨が上がったので外に出て前回は凶のおみくじを引いたマニュエルが今度は大吉で喜ぶ姿にほっとしながら、早めに家に帰り、ゆっくりティーセレモニーをして、帰ってきた夫と日本酒で乾杯し、濡れた靴下の代わりに古い足袋ソックスを履いてもらって素敵な羽織をプレゼントして、無事二人の体験は終わりました。

 これまでたくさんのエアビーの体験をしてきた二人は各地の思い出もたくさん持っている。私はひたすらこの場所にいて、沢山のゲストを迎え、同じ場所を回っていろんな話をするだけです。ゲストとハグして別れを告げたとき四時間一緒に過ごした想いがあるけれど、すぐ次のゲストが来るから今日の反省をして準備をして、また悩み緊張する。こんな時、私は名犬ロンドンの主題歌を思い出します。幸せな想い出と暖かい思いに包まれながら、彼はそっとそこを抜け出して、新しい場所に一人で向かうのです。これは正直、もう性(さが)だと思う。私は彼の気持ちがわかります。だから今まで、ここまで、悩み続けてきた。何に?

 

 ゲストが帰ってから、夫が英会話教室の先生のオーストラリア人のデイビットが元気がなくて、物忘れが激しく支障が出てきたので病院へ行って精密検査を受けると言っているそうで、まだ四十代だし先々週はオーストラリアツアーを企画してみんなで行こうと喜んでいただけに急激な変化にびっくりしています。この前来た日本の女性が、体調を崩したり神経に変調をきたす友達が増えて、コロナワクチンの弊害だと言っていたことを思い出し、もしかしたらという疑いも出てきます。夫が煙草をずっと吸っているから体に害が出るとマニュエルが忠告してくれたけれど、日本食の良さをアンジェラに話していた私は豆腐、枝豆、納豆、魚、野菜の煮物、おひたし、刺身など健康的な食べ物を食べていることが何とか煙草の害と五分五分になっているのではないかと思うし、私たち老夫婦が外国人のゲストをもてなすために奮闘していることも脳の訓練になって、認知症になるのを防いでいるのかもしれません。

 何か正義か。ロンドン君は犬なのに、正義を愛し、事件に遭うと弱きものを助け、難問題を解決するために陰から手助けをする。村上春樹の小説に出てくる自分の影。私たちはもうすでに異次元の世界に入ってしまった。体の中にその資格を持つ何かを注入してしまった。人が誰もいない正月の柴又の怖ろしい風景は二度と忘れられないと庭園のスタッフの方が言っていたけれど、本当に人がいなくなる日が来るのかもしれない。

 柴又を巡るツアーもいつまでできるかわからず、カウントダウンが始まっているのだったら、一日一日一秒一秒を大事にして、巡り合う縁に出来る限りの証を残していきます。すべての事に注意を払い、すべてに最善を尽くす努力をし続ける。お彼岸が今日で明けます。お寺の法要で知った青山師のお言葉、お彼岸中に来てくれて仏壇にお線香を上げてくれたゲスト達、お団子やチョコレートのギフトをご先祖様たちは喜んでくださいました。イースターのお菓子なんて皆初めてだったでしょう。世界は広くて、狭くて、そしてあったかいのです。大谷選手を始め沢山の野球選手たちが素晴らしい試合を見せてくれました。正義は美しい、そして悪はいつか滅んでいく。

 全身全霊を込めて、与えられた機会に最善を尽くしていきます。