さくら

 雨降りが終わって、やっとお日さまが出てきた昨日は、ニュージーランドとメキシコから姉弟と兄妹のカップルがやってきました。オーストラリアでドクターをしている27歳の大きな男の子と、ニュージーランドでデンティストをしているもの静かで知性的なお姉さんは台湾出身で、静かに部屋に入ってくると最近BGMとしてかけている「のだめカンタービレ」のCDの曲に嬉しそうに反応して、のだめが大好きだと言う弟くんはバイオリンを弾いていてドボルザークやショスタコ―ビッチなどロシアの作曲家が好き、7つ年上のお姉ちゃんはピアノを弾いてショパンが好みだそうです。紫が好きなお姉ちゃんは最近選ばれてきた薄紫の訪問着に桜が咲き乱れた名古屋帯を締め、体格がいいのに卓球をしている弟くんには夫が苦労しながら大きい着物を着せました。

 本当に上品で育ちがいい二人は、仲良く写真を撮り合い、時々着物がはだけそうになる弟君たちの姿を見ながら、強者のメキシカンの着付けを始めました。黄色の眼鏡をかけたカッコイイお兄さんは50代、デザイナーで日本が大好き、北野武、黒澤明の名をあげながらお菓子や団子を食べ続け、高級なうす水色の紋入りの‼紬を着せるとよく似合い、インナーの赤シャツが襟元から見えてそれがアクセントになります。妹さんはスペイン語のみなので、必死で記憶をたどりながら単語を使うのだけれど、日本のアイドル、特に嵐の櫻井翔君が大好きで、嵐の歌は日本語ですらすら歌うので、私は笑ってしまいました。かなり早く着付けも終わったし、天気もいいので柴又へ出かけ、しばらく続いた雨降りの中で雨ゴートを着せ、スリッパを持って回廊を歩いた寒い日々を思い出しながら、花の咲き乱れる帝釈天はいたるところが写真スポットで、私はいろいろ案内しながら見守って、時々二人で並んだ写真を撮っていたのですが、メキシコのお兄さんは外へ出た時から人格が変わり、ミニカメラを離さず妹さんの写真、風景、そして自分の顔のアップを撮り続けるのです。構図も妹さんに指定して、そこから撮ることを強要しているので私の出る幕はなく、なんでこんなに変わってしまったのかと不思議に感じていました。

 今日はみんなシングルのようで、兄弟で来るゲストも多くなったのだけれど、静かに自分達の生活を楽しんでいる様を見ていると、家庭を持ったり子供の進む道を作る過程は、未来の見えないこれからの世界ではかなり厳しい気がしているのです。これだけ悪がはびこり、年を取り地位も権力も持つ人間たちの能力の無さを見る時、世界の中心には穴が開いていてそこからドロドロ廃液が流れ出していて、子供を育てるとか教育をするときに、どこまで悪から守れるか私には全く確信がないのです。

 うちの前に住む94歳の女性は一人暮らしで、ヘルパーさんやデイサービスを利用しながらもゴミは手押し車の上に載せて出すし、きちんと暮らしているのに感心しています。独り身の息子さんのためににこにこしながらカートを押してスーパーで買い物する方、15年前に亡くなった夫の妹さんと幼馴染みの独身の女性はデニムのコートを着て、スーパーで採れたてのブロッコリーを選んでいたりするのを見ると、コロナ前のいわゆる「勝ち組」「負け組」みたいな優越感や劣等感が消えて、今現在心から笑えるか、信じることができるものがあるか、あったかいものを持っているかということが大事なのだと思うのです。

 あんなに熱心に自分の顔を撮り続けるメキシコのお兄ちゃんは自分が好きでたまらないのだろうか、確かにかっこよかったけれど、高級な紬を着て、寺の回廊のいたるところで写真が撮れてよかった。でも仏教彫刻のエリアに行った時、十年間これを彫刻師は彫り続けた話をしたら、自分には絶対できないというのもよくわかります。メキシコの民族性を考えると、それでもこのお兄ちゃんはずいぶんヨーロッパ的な感じもするのですが、一番面白かったのが韓国が大好きで、人々がファニーで明るくてよく反応すると言い、着物で外国人が四人並んでも目を伏せて見てみないふりをする日本人たちは、異様だとも思うのです。英語が話せないとか単語が出てこないというレベルの問題ではなく、コミュニケーションを取りたくなくて自分達の世界だけ見えていればいい、でもそれは危険が迫っている時はとても危ない性質なのです。

 

 今日は義父の妹さんが嫁ぎ先で27歳で亡くなった命日で、義父は彼女の位牌を引き取り両親と同じ墓所にお墓も建てて弔っていて、私は毎日お線香を上げて拝み、最近は大勢のゲストも手を合わせてくれています。字入りの太いお線香を立てて火を灯してしばらくしていったら、お釈迦様がくっきりと浮かびあがり、下に「南無阿弥陀仏」という文字が見えるのです。ああ、このうちに居られて良かった、大変なことや至らないことがたくさんあって、辛い日々も多かったけれど、楽しいことも嬉しいこともたくさんあって、この頑丈で立派な義父の建てた家を、多くの外国人が賞賛してくれているのです。戦争の終わる一年前にお産でなくなったらしい妹さんの魂を供養できる、私ができることは皆を供養し、お線香を灯し鉦を鳴らし、手を合わせること、それができて良かったとしか思いようがありません。若くして亡くなっても、長命でいられても、小さくて亡くなっても、私はみんなを想い続けて行くことができる、なんて嬉しい事なのでしょう。人生は与えるためにあるのでした。

 桜が咲き誇る江戸川の堤に久しぶりにゲスト達とのぼりました。私が見れば仏様たちも見ることができます。綺麗な着物を着たゲスト達がそこここで写真を撮っています。あれ、ぽつっと雨粒を感じました。着物を濡らしてはいけません。ティーセレモニーの支度をして待っている夫のもとへ早く帰りましょう。