君の行く道はとても大変だよ でも歩みを止めないで

 プロ野球は開幕するし,スケートのショーの放送はあるし、明日から四月だし、桜は満開からちらほら散りかけているし、なんだかバタバタしています。義母がトイレに行こうとしてよろけて尻もちをついてわき腹が痛いというんで整形に連れて行くと施設から電話がありました。私も朝起きる時は柱につかまってゆっくり立ち上がるし、疲れている時は階段も手すりにつかまって上り下りするし、柴又の回廊も階段もずいぶん気を付けて歩いて居ます。吉野の桜、京都の桜、テレビではたくさんの観光客を映し出し、外国人も多くてインタビューされたアメリカ人が素晴らしいけれど人が多すぎると言っていて、辺鄙な柴又は人が少なくてローカルでいいというゲストの気持ちはよくわかります。でも桜の開花が早すぎるとか、傷を嫌う桜なのに幹にはシカが付けた無数のキズがあるとか、地元の人々は心配していて、コロナが終息して観光客が大勢来ている状態も、来年はどうなるかわからないと私は思っています。

 昨日は夜寝ていて辛くて、妄想や後悔が頭を巡り、どうしようかと思っていたのだけれど、昨日まで配信されていたアイスショーの冒頭で、「これはあなたの味方の贈り物」という呼びかけがあったことを思い出し、苦しくて心が壊れそうな時に、惜しげもなく自分をさらけ出し、どんなに大変でも前を向いて歩いていこうというメッセージや、たえまなく落ち込む心、でも僕はいつも一人だと繰り返す強さに、救われる思いがするのです。世界への配信が決まったと聞いて、エアビーの仕事をしていて結局人間はみんなどこかで同じだし、真を貫いて生きること、心の中に大切なものがいつもあること、温かい世界を作ることがやはり大切だと思うのです。「一人になるのが怖い」そう言っていたという同い年のママ友が病院に入って2年になります。同級生だった旦那さんの3回忌も済ませ、もうこれでみんな終わりよと言っていた彼女の心の闇をなにが救えたのだのだろうか。皆の介護ばかりしているよねと言い合いつつ、それが私たちのアイデンティティだったのかもしれない、でもそれらがすべて終わった時、自分を差し出す相手がいなくなってしまった苦しみと空虚さ。

 不特定多数に対するアイデンティティの提示。私はそれをたくさんの外国人に示そうとしています。昨日来たスリランカ人の夫婦はエンジニアで今オーストラリアに住んでいて、初めての日本旅行ですがそれまでたくさんの国に旅行に行っているとか、でも体験をするとき一緒になるのはどこの国のゲストかと聞いてきたり、肌の色がダークだから明るい色の着物を選びたいとか、かなりいろいろなことを気にしている風でした。キューバ人でマイアミに住む若いカップルは、前に来たゲストの紹介で来たとのこと、中国人の血をひき、前髪を紫に染めた可愛い女の子はひらがなも読めるのです。

 スリランカの旦那様が着物を着たいしティーセレモニーも体験してみたいと予約してくれたそうですが、緊張しているところもありながら真面目な方で、仏教彫刻の前でスリランカの仏塔について熱心に説明してくれたり、クラシック音楽が好きというのでどんな作曲家が好み?と聞くと、笑いながら「スリランカの作曲家を知らないでしょう」と返され、それぞれの国の中にクラシックとポピュラーがあるんだと知りました。それにしてもスリランカ(昔はセイロンでした)というと紅茶しか思い浮かばない私は後付けでいろいろサイトを見ています。インド洋の真珠と呼ばれる美しい島国ですが、26年間の内戦で多くの犠牲者と貧困を生み、和平が成立した今も復興は遅々として進まず、紅茶や繊維などの伝統的な産業に頼りすぎて産業高度化や経済基盤の整備が遅れ、中国やインドなどの近隣国からの借金が膨らみ、コロナ禍で観光収入が激減したことで返済能力が低下しているのです。国債の信用格付けが最低ランクに引き下げられ、破産の危機に直面していますが、対外責務の急増に伴い深刻な外貨不足に陥ったことと、長きにわたって行われてきた一族による国政支配のもと、経済政策の失敗が繰り返されたという実態があるそうです。

 エンジニアという職を持ち優秀なゲスト夫婦はオーストラリアに移住し、海外旅行もたくさんしている裕福な方々ですが、インド人のゲストの自信にあふれた振舞を見て結構振り回された経験のある私にとって、かなりナーバスで引け目に思う部分を出すことが多いのが意外で、とても綺麗な奥様がダークな肌の色を気にして写真を撮っても顔が黒く写ると嘆くし、いろんなことを気にするタイプでした。かなり小柄なのに大きいカラフルな着物を選んだのでおはしょりが出て、小さい着物を選んだ長身のキューバの女の子は対丈でオハショリなしで着せたら、帰りのエレベーターの中でそれを指摘したリ、なんだかみんな同じじゃないといけないとか周りを気にするのは、日本人ぽいと思ったのだけれど、アクシデントもありつつ無事終了、お茶を点てるのを二人の男性にやってもらったら、キューバの男の子はこともなげにすらすらと点て、スリランカの旦那様は緊張しまくって、早く終わらせようと急ぎ続け、お茶を点てる気持ちが追い付かないようでした。本当に民族性とは様々ですが、混乱の母国を離れ、仕事もできゆとりのある暮らしをしていても、心はやはり故郷にあるから、不安な気持ちが多いのかなと思うのです。

 桜の綺麗な季節、ラッキーなゲスト達でしたが、私は今回もいろいろなことを学び、反省し、彼らを送りました。キューバの彼はスペイン語の”nos vemos"と言う別れの挨拶を、日本語で何というかと聞くので「またね」と教えたら、またねーと手を振って別れたし、スリランカの旦那様はお土産の渋い素敵な帯を持って真剣に挨拶してくれました。

 いつもながらこれで良かったのかと思う四時間ですが、着た着物をハンガーにかけ干していると、その素晴らしい色合いや絹の質感に心が慰められるのです。なんて素晴らしい着物たちなんだろう、下さった方々の温情が心に染みます。いろんな出来事があって、いつも夫に助けられているのだけれど、これは私にしかできないことなのです。危険な気配をゲスト達から感じることも多いのですが、前を向いて進めるだけ進みます。歩みを止めないで。