バイカル湖のほとり

 先週の日曜日に来たゲストは皆170㎝以上の女性で、ミラノに住む五十代のママと20歳の娘さん、バイカル湖のそばでモンゴルが近い街に生れ、今はニューヨークで働くエレーナ、そしてアトランタに住むデミニ、私は大きい長襦袢の半衿を付け替え、私サイズの着物や草履を並べ、少し早めに来たイタリアの母娘を迎えました。大柄でふっくらしているママはイタリア人好みの明るいブルーの普通サイズの訪問着を選び、大学でマンガを学んでいる娘さんはちりめんの総模様の紫の振袖に決めたところでスマホが鳴り、デミニが道に迷ったと言っているのだけれど聞き取れず、ちょうどそこへエレーナが到着したのでスマホを渡してうちへの道順を教えてもらいました。私の説明通りに来れば駅から2分かからないのに、グーグルマップで来るとこういうことになる、でもこのおかげて一人旅だったエレーナとデミニはすっかり仲良くなり、私がイタリアの二人を着付けている間に、夫と三人で楽しそうに着物を選び出しました。コロナ禍で食べてばかりいて太ったというエレーナは、日本人と同じ顔立ちでよく間違えられるとのこと、どこの国の方?と聞くとロシアと答えたけれど、モンゴル系の肌の綺麗な女の子で、私のダーク系の着物は選ばず赤や原色の青が好きで、青い訪問着に紅い袋帯を締め、ドレッドヘアの細いデミニは挽茶色の紅型模様の小紋に赤い名古屋帯で、補正をして紐をたくさん結んでいるとブーブー文句を言っていました。でもこのタイプは危険で暴れそうだし、帯がすとんと落ちることもあるので、私は最後の力を振り絞り帯締めを結んで終了。でも四人並んで写真を撮ると、本当に綺麗でした。

 娘さんには20歳で振袖を着ると、町の人に「おめでとう」と言われるからそうしたら「ありがとうございます」と日本語で言ってねと頼み、あでやかな四人は拍手されたり花の咲き乱れる柴又ではたくさん写真を撮り、縁結びのお守りを買ったりおみくじも引いて、ちょっと混んでいる柴又を楽しんだのですが、庭園の回廊に外国人の団体がいて、お国を聞くと何とロシアでした。ゲスト達がそこここで日本人の方に写真を撮られたりして場所を塞いだので、あとを歩いて居る他のお客様の邪魔で申し訳なかったのですが、ロシア軍団は無表情でいて、そしていろんなものに反応を示さず、エレーナにそのことを言うと「私は彼らとは違うから」と無視しているし、あとで受付の女性に聞いてみると「だってロシア人だもの」とあっさり返されてしまいました。ロシアは広い広い国だし、国境も長い、いろいろな所で問題が起きるのも不思議はないのかもしれないけれど、アイデンティティは物凄くしっかりはっきりしていると私はあらためて感じるのですが、こうやってたくさんのロシア人が日本のこんな片隅の町まで来ていることが奇妙な気がしました。

 昨夜夫が「レッドオクトーバーを追え」というショーンコネリーが主演する映画を見ていて、隣の部屋にいた私はロシア軍歌のような主題歌のあまりの重厚な歌声にびっくりしてしばらく一緒に見入っていたのですが、1990年のアメリカで制作され、東西冷戦時代大西洋沖に突然姿を現したソ連の原子力船レッドオクトーバーを巡って繰り広げられる米ソ戦略を描く軍事アクションスパイ映画だそうです。今まで10人位のロシア人が来たけれど、心を許さないところがあるし、孤独で少し変わっている、ロシア人同士のカップルはいなくて、ペアの相手は中国人とかフランス人とか韓国人でした。でも四時間一緒にいて、彼らは着物や寺町を楽しみ、私は彼らの心を見ることができた、だから今でもその時の会話や光景を覚えているけれど、ナイーブでどこかに哀しみがあって、そして孤独な影がある、だけれど心から笑い合う事が出来、何よりも着物姿は綺麗だったのです。

 コロナ後は一人で来るゲストが多くなり、若い男の子も年配の女性もいるのだけれど、キャンセルはしたもののクリスマスにギリシアのミドルエイジの男性から予約が入った時はかなりびっくりしました。結局若い時の私と同じなのかもしれない。でも今私は着物を着せるために色々な努力をし、体験が終わってみんな帰った後脱いだ着物や帯、小物、紐の山を見て目がまわるのだけれど、一生懸命片付け、手入れをし、明日に備える、それが私の仕事なのです。

 バイカル湖のほとりが故郷のエレーナは穏やかで知的で、故郷の動画を見せてくれたけれど、広い道がとこまでも続きバイカル湖も大きくて果てしもない風景が続くのだから、この狭い日本へ来て、いったい何を思うのでしょうか。最近は本当に外国人がたくさんきています。大きなスーツケースを転がす疲れた顔の外国人たちが、高砂の駅にもいるし、桜の綺麗なこの季節、富士山、河口湖、鎌倉、京都、大阪、広島、様々な場所で日本を楽しんだことでしょう。でも、コロナ感染は下火になっても、気候変動は不気味な広がりを見せているし、突然記憶が飛んだり精神に変調をきたしたり、病に伏す人も増えています。

 今日のゲストはカリフォルニアとプエルトルコから来る三人と思っていたら、さっき急にブラジルからのゲストが追加で予約してきました。プエルトリコについてさっき急いで調べたのだけれど、ブラジルはポルトガル語です。昨日飲んだポルトガルのワインは美味しかった!もう頭の中がめちゃめちゃです。でも、私の仕事は彼らに美しいもの、素晴らしいものを見せていくこと、そのために出来る限りの努力をしていきます。

 頑張ろう❣