Huoi君

 4月8日は雨模様で、大柄なチャイニーズアメリカンのカップルと小柄なフィリピンのカップルは着物を着て雨ゴートを羽織り静かに柴又に向いました。実はメールに書かれていたフィリピンカップルの身長が同じで、初め私は間違えたのだと思い、170㎝くらいの男物の着物を用意していたのですが、玄関に現れた二人は小柄で可愛らしく、慌てて一番小さいサイズの紺の着物を羽織ってもらったらぴったりで、腕組みして黒い眼鏡をかけてポーズをとるHuoi くんは何とも言えない雰囲気の持ち主なのです。

 わりと無口なのだけれど綺麗な奥様といつも手を繋ぎ、写真をたくさん撮ってあげ、うちへ帰ってティーセレモニーをしたのですが、京都でお茶体験をして抹茶も挽いたという中国カップルにはじめに飲んでもらい、全く初めてだというHuoi君は「緊張する」と言いながら初めてのお茶を味わってくれて、その姿を見ていてふと彼はお茶が点てられると感じて、私のためにお茶を点ててもらいました。しっかり着物を着て構えて、柄杓も茶杓もきちんと扱い、落ち着いてお茶を点てるのを奥様はしっかり動画に収め、私はお茶をいただきながら、東南アジア系の男性は茶道の根本を理解するのが早いと感じていました。その後中国の女の子にもお茶を点ててもらい体験を終了させ、プレゼントの帯を選んでもらっている時に、Huoi君には小さいサイズの紬の着物を持って行ってもらいました。チェコのゲストも小柄だったのでウールの着物を差し上げたら、なんと彼は着たまま帰って行ったのですが、160㎝以下の身長の男性の着物はなかなか外国人に着てもらうことがないので、ジャストフィットの時は私は嬉しくてお国へ持って行ってもらうのです。

 大柄な明るい中国人の男性がちょっとうらやましそうな声でいいなあというのだけれど、大きいサイズの着物は貴重なのでごめんなさい、差し上げることはできないのです。雨がやまないので折り畳みの傘をあげて仲良く相合傘で帰って行く二組を見送りながら、私は妙な興奮した気持ちに陥り、それがずっと続くのに驚いていました。胸が締め付けられるような想いは、Huoi君がお茶を点てているのを隣で見ていた時からで、夜になっても彼の気配が感じられるのは、彼がすっぽり日本の文化の中に入り込む能力を持っているからなのかと考えていたら、そういえばお寺に行った時彼に仏教徒かと聞いたら、奥様が「シャーマニズムなの」と答えていたのを思い出しました。

 キリスト教などの契約宗教のように聖書などのガイドラインがある宗教に比べて、シャーマニズムはシャーマン個人への依存度が深いもので、客観的な根拠の熟成には欠き、主観的な意見に見える危険性もあるので、洗練されていないとかインチキとか言われてしまうと反論するロジックが少なく、原始的な宗教というレッテルを張られることもあるのです。ガイドラインの研究の果てに生み出した、システムに依存しているように見える西洋由来の宗教とは方向性が異なっていて、人に宿った神の言葉を信じるのか、人が書いた神の言葉を信じるのか、でもシャーマンの能力に大きく依存した宗教であり、神との間で意思の疎通をはかり、信者や仲間の集団に対して神の意志をお告げとして語ります。シャーマンが神さまと直接連絡を取り、諸問題への対策や指示を仰ぎ、その都度神様に訊ねる。多神教的な性質と、人間以外の性質をもった神様や精霊などを崇拝したり、忌避したりしています。自然の驚異を精霊などに擬人化することも多く、そういう考え方はアニミズムとも似通っていて、どんな物質にもそれを代表するような精霊などが存在しており、それは人との暮らしに恩恵を与えたり害悪を成したりします。自然界のあらゆるものに、人格や力があると考えている価値観で、アニミズムは世界観であり、シャーマニズムは信仰のスタイルですが、アニミズム(自然のあらゆる場所に精霊がいる)の世界観において、精霊とコンタクトを取れるシャーマンが存在したとしても矛盾しません。両者は、時には共存することも可能な考え方です。アニミズムは自然界に数多の神格を感じ取ることであり、シャーマニズムはあくまでシャーマン中心の宗教の方式になる、また50年ほど前にアメリカなどで新しく始まった動きは、都市部でもシャーマニズムを発展させることを可能にして、世界中のシャーマニズムに共通する部分を中心に取り入れられ、現代社会の生活に馴染んでいて、人間の世界とスピリチュアルな世界をつないで、バランスを整える役割を果たしているそうなのです。

 こういう感覚を持っているHuoi君に私は柴又の仏教彫刻を見せて、どう思うか聞いてしまったのですが、初めはちょっと冷ややかに見ていた彼が、どこかでふと好意的なコメントをしてくれて、その時は深く考えなかったけれど、人間の世界とスピリチュアルな世界をつないでバランスを整える役割を果たしているというシャーマニズムを彼が持っているとしたら、庭園の緑を背景に奥様の写真をたくさん撮り、手をつないで仲良く歩き、抹茶を綺麗に点てるというバランス感覚と落ち着いた精神が私の心に深いインパクトを与えてくれた理由なのかもしれません。

 

 自宅にしまってあったお人形さんたちを、うちに飾って外国人に見て欲しいと持ってきた方にJAで買ったトマトや菜花やさやえんどうやレタスをお礼に差し上げたら、野菜が大好きと言って、朝早くウォーキングするときに玄関を覗いたら、人形が飾ってあって嬉しかったとじっと私の目を見たそのお顔を見て、私はHuoi君の時と同じく胸が締め付けられる思いがしたのです。

 すべてに魂が宿っている、人形にも野菜にも、お抹茶にも自然の緑にも花々にも。何に囚われることもなく、私に与えられたご縁を大事にして、丁寧に生きていく、心のざわめきを静かに聞いていきましょう。