街とその不確かな壁

 村上春樹の6年ぶりとなる長編小説が昨日刊行されました。待ちに待った、そして今この時の発売です。すべてが何かを指し示しているとしか思えないのですが、今日の日経新聞に出ていたインタビュー記事に意外な言葉が載っていました。

 「書きたいものを書く力がついた」

 あの村上春樹が、74歳になった今、こういうことを言う。えーっ、なんで。

 「この小説を書きだしたのは20年の春ごろで、社会全体にコロナ禍の影響も大きく、家にいることが増え、自分の内面を見る傾向が強くなった。そろそろあれを書いてもいいんじゃないかと、引出しの奥から引っ張りだしてきた。時期が来たなという感覚がありました。」

 「ぼくにとって”壁”とはこちらの世界とあちらの世界を分け隔てる境界。そこを抜ける能力を持つ人がいるというのが、僕の世界の仕掛け、というか中心命題の一つと言えます。壁を抜け、向こうの世界へ行き、帰ってくる人物は大事な存在です。」

 「コロナ禍やロシアによるウクライナ軍事侵攻もあり、グローバリズムそのものが揺らいでいるように感じる。グローバル化は世界を良くする、SNS(交流サイト)は新しいデモクラシーにつながると期待されていたが、むしろパンドラの箱を開けたような(混乱した)状況に陥っている。壁を乗り越えていくのか、それとも壁の内側に籠るか、どちらに引かれるのか、自分でもよくわからないまま書いた」

 「小説家は肌で感じたものを書くのであって、考えすぎると書けない。(頭に)情報を入れておいて、それを変容させて書くのが小説だと思います。」

 「もう一つの世界に行くには、意志の力や信じる力、そして体力が必要。力を振り絞らないと向こうの世界にはいけない。そこでは信じる力は大事だと思う。だから僕の小説はペシミスティック(悲観的)でもネガティブ(否定的)でもない。変なものがいっぱい出て来て、暗い所もあるが、根本的にはポジティブ(肯定的)な物語。」

 「僕が一番心配なのはコロナ禍の状況の中で若い人がどう感じ、どんな風に変化していくかということ。」

 「僕自身は意識と無意識を行き来するうちに立体感を掴むという方法論をとっており、それまでの日本文学の流れとは異なる。」

 「影というのは潜在意識の中の自己、もう一人の自分なのです。相似形であると同時にネガでもある。それを知ることは自分自身を知ることにもなる。とりわけ長編小説を書く場合は、潜在意識を深く掘っていく必要がある。」

 

コロナウィルスが日本で猛威を振るい始めた2020年の3月初めに、この作品を書き始め、3年近くかけて完成させた。その間ほとんど外出することもなく、長期旅行をすることもなく、そのかなり異様な、緊張を強いられる環境下で、日々この小説をこつこつと書き続けていた。まるで<夢読み>が図書館で<古い夢>を読むみたいに。そのような状況は何かを意味するかもしれないし、何も意味しないかもしれない。しかし多分何かは意味しているはずだ。そのことを肌身で実感している。