Sweet are the uses of adversity.

 夫が70歳になった時、行きたくてたまらなかったイギリス旅行へツアーで行ってきました。私は実母の介護があるので行けなかったけれど、ジェームスボンドやビートルズ、スコッチウィスキーが大好きな夫は一週間楽しんできて、シェークスピアハウスでトートバッグをお土産に買ってきました。沢山の作品と有名なセリフが一面に描かれたこのバッグはあまり使わないで、ずっと椅子の背もたれにかかっていたのだけれど、シェークスピア文学のセリフにはとても胸に響く言葉がたくさんあることに気がつきました。

 Sweet are the uses of adversity  とは、しばしば人生では逆境であればあるほど得るものが多く、思い通りになっているときほど落とし穴があるという人生訓で、回りくどい言い方だけれど、これがシェークスピア文学の奥深さであり、私達高齢者がこういう教養とか哲学、倫理に対してあまりに無知のまま年を重ね、成熟しないで落果しようとしているつけが、世界中の害毒を作り出している気がするのです。長年取っている新聞を止めようと販売店に連絡したら、店主に何でやめるのかと訳を聞かれ、成熟した人間が書く記事がなくなり、読みたいと思わなくなったと答えたら、傍で聞いていた夫が苦笑していました。何が正しいのか、というかマスコミもネットも虚偽の報道を平気で流していて、それを指示する黒幕が国や企業のトップにいて、利益が得られるためなら人の命などどうでもいいと思う人間たちが横行しています。飢え切ったパレスチナ人の女性の映像が映し出され、フェイク選挙が終わったロシアはウクライナを攻め続け、北朝鮮はまたミサイルを発射している、正義も悪も呪いも祝福もごった煮のように盛られた中で、私達は日々を過ごしています。

 そんな危険な時代にいる私達が希望を持ち、光を求めて前に進むには、何より文化や教養や知識や美意識や哲学を身にまとわなければなりません。教養という財産をもち、精神を浄化するために必要な文学や芸術、音楽、美術、宗教観を味わう力を持ち、逆境を耐え忍ぶ胆力を持っていないと、いつか自分の爪に仕込まれた毒で自分の皮膚を刺してしまう日が来ます。シェークスピアはマクベスにこう語らせています。「悪いことをすると自分にはね返ってくる。そして眠れなくなる。」「ひとたび悪事に手を付けたら、最後の仕上げも悪の手に委ねることだ。悪の退治をするためには、人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶことを知らなければならない。」

 マクベスのような激しい文学を読み追体験することで、不安や怒りなどの心の汚れや罪の意識などを取り除いて精神を正しい状態に戻す、カタルシス、精神の浄化、違う自分になる、風のようにもう一つの人生を生きて見ることにしよう。こういう体験を精神的に繰り返していると、人間の幅が広がり、物に動じなくなり、何かを思うようになる。それによって自分の力で自分の精神を浄化し、自分の内側にこそ世界を変えるパワーがあることに気づき、どんなに頑張っても報われないことからも学び、もがき苦しむ生き様もさらけ出し、今度は風のように、違う人生を歩もうとしていることを、1600年代にシェークスピアは示していたのです。

 それから420年後の今、いったい私たちは何をしているのでしょう。自分の魂にとって最も純粋な在り方とは、心の情熱に真っ直ぐに従うこと、そこで生まれた行動力に愛という方向性を持たせること、個人の小さな情熱が社会を大きな変容に導く時だから、自分の道を堂々と突き進むのです。内なる情熱に火を点けて、愛に満ちた未来に向かうこと、自分の選択を信じて突き進むこと。

 私はこれらの事を、いろいろな国から来るゲストと語り合います。言葉に詰まり、単語がわからないことばかりだけれど、語り合える人々がいるという幸せをかみしめながら、前へ進んで行きます。