白い巨塔

 最近のテレビドラマは若い俳優ばかりで名前もわからず内容も面白くないと、夫はBS放送で古い時代劇を好んで見ています。早い夕食を食べながら必殺仕事人、鬼平犯科帳を私も一緒に眺めていると、ある日荘厳なクラシック音楽のBGMが出だしに流れ、山崎豊子原作の白い巨塔が放映されていました。私が若い頃は田宮二朗主演だったけれど、唐沢寿明、江口洋介たちが出演するこのドラマを毎週火曜日の夜楽しみに見ています。

 同期の二人の優秀な医師のそれぞれの対照的な生き方と、壮絶な結末を描き出す作者の力量はたいしたものだと思っていると、夫が自分は出世を望みのし上がりたい財前医師と、自分の理念と良心を大事にしながら清貧でも人々を救うために進んでいく里見医師のどちらのタイプだろうと言い出しました。どちらでもない、人のいいただのおじいさんだと私はひそかに思っているのだけれど、それにしても善良な国民をフェイクやまやかしや悪意を持って操ろうとする愚かなマスコミを見ていると、戦争中ダメージをひた隠しにして勝ち戦だと戦意を煽っていた軍のトップと同じで、毎日同じ内容のテレビに見入っている夫にはなるべく悪い内容の雑誌の広告など見せないようにしています。

 私より格段に優しい夫は、ゲストの小さい子供たちにモテモテで、なつかれて喜んでいますが、一月にネット詐欺にあった時、詐欺師に対してもとても思いやり深く接していて、最後に大金をだまし取られた姿を見ていると、悪い人は普通にそこらへんにたくさんいる世の中だということを骨身に染みて感じています。全く何という世の中かと思うけれど、そんな中でどんなシチュエーションであっても、その人が人間として持っているものを社会の中で活かせるようにするには、今までどう学んできたか、どう生きてきたかがとても大切なのだと思っています。自分というものを見出して磨くことができればブレずに歩け、人生は豊かにできる、自分自身をよく理解し「自分の中心軸」「心の芯」「生き方の美学」自分にとって大切なものが何かを知っていると、決断する時の道標になる。人生はいつかは終わる、いつかは終わるんだったら、今できることの最善を全部尽くしていこう、という糸井重里さんと羽生結弦選手の対談の内容を書いた文章を読んでいて、山崎豊子さんが膨大な資料をもとにかき上げた大学病院の内幕も、例えば政界の暗闇も、世界情勢の混沌も、世の中が悪いのではなく一人一人の、個人的資質の誠実さにかかっているのではないかと思うのです。

 財前教授の自分の欲望のためには何を犠牲にしてもいいという考えを持った人間は今たくさんいます。国のトップ、企業のトップ、人を殺しても傷つけても飢えさせても平然と自分の正当性を主張している姿を見ていると、「悪いことをすると、最後にそれは自分に返って来る。」というシェークスピアのマクベスのセリフが蘇ります。留まるところなく増殖する人間の悪意は、そのうち自分を食い荒らすがん細胞に転じることもあるかもしれないのです。

 私たちはみんな何かを背負って生きています。でもそれを背負うのでなく、受け入れればいい。自分が表現したりイメージをちゃんと伝えられる技術とボキャブラリーを増やさないといけない、人の気持ちの余白、思いの余白、見る人の気持ちの動きに委ねるところまでを含めて自分の表現を考えて、見る人の想像力を大きく膨らませられる何かを発信していきたい、そんなことを考えさせられるテレビドラマというものを、久しぶりに見ました。