納骨

 気温が上がって暑いくらいの土曜日、無事義母の納骨が終りました。越谷や世田谷から来る義母の弟妹の方々は長時間の行事に疲れが出ないかと心配したのですが、総勢14人が自宅に揃うとさすがに混乱して、お茶を出すのも大変だったけれど、子供たちや甥がスラスラ手伝ってくれて、有難い限りです。マイクロバスで柴又のお寺に行き、読経を終えてから15本のお塔婆を持って八柱霊園に行き、義父の納骨以来15年ぶりに墓石の下を開けてもらうと、二段になった棚の上に義父の骨壺があり、隣に実母のさださん、下の段の奥に義父のお母様のとみさんのものがあり、古いので蜘蛛の巣が張っています。若い業者さんが上の段のものを下におろしますかと聞いてきたけれど、義父を下ろすわけにいかず、でもさださんを下にして義母を上の段に置くのは夫も私もできないのです。小声で「後妻さんなので…」と断って義母の骨壺は下の段に置いてもらうと、隣には戒名の最後の文字が浄光と一緒の、とみさんがいるから大丈夫だと思って、蓋を閉めてもらいました。いろいろ最後まで葛藤があるのだけれどそれは仕方ない、弟妹の方が拝んだ後、私は深く頭を下げてやっぱり謝りました。

 それから近くの義母の実家の墓参りをし、柴又のえびすやで食事をいただきました。和やかに和気藹々とすべての出席者が楽しそう語らっている姿を見ながら、私は感無量でした。義母の実家のために多大な尽力を払った夫の献身と、長年にわたる介護、看取り、お葬式を、弟妹の方たちはずっと見ていて、心から感謝して下さっています。そしてもしここに義母がいたとしたら、空気がすべて一変してしまうことも事実なのです。うちの子供たちは無視され、顔も見てくれない、誕生日など祝ってくれることもなく、要するに好きでない、悪口を言われる、そんな空気の中で息を潜めていた時代が長かった、でもそれは私達の修業の道でした。

 初めて会った義母の弟妹の方たちと義父の思い出を語る息子の姿、弟さんのお嫁さんと意気投合して今度は一緒に飲みに行こうと約束している次女、高齢者たちが四苦八苦しているラインの交換を手伝ってあげている長女、みんな成長して、手伝ってくれ、支えてくれる有難さを感じながら、やはりあの厳しい年月は私達にとって必要だったし、義母の長い人生、最後に入ったお墓の下の段、なんだかそれがすべてを象徴している気がするのです。でも、次に入るのは夫だよねと子供たちが冷やかしながら言った時に、「俺は下の段でいいよ」という夫の言葉を聞き、やはり彼は偉いな、長男だなとあらためて私は思うのです。

 葬儀にも納骨にも現れなかった夫の弟の次女さんは、初めは子供の風邪がうつって具合が悪いから欠席すると聞いていたのだけれど、お葬式の時アメリカからやって来た長女さんが「鬱病で心身共にすぐれない」というのに私たちはびっくりしました。コロナ前から具合が悪く、実家で静養していて二人の男の子の保育園の送り迎えは、近くに住む旦那さんの両親がして、君津で働く旦那さんは週末に返ってくるという生活をずっとしていたのだそうです。長いこと教員をしている弟嫁はいつも家にいないで、そういえば義母が亡くなった時も学校が終ってからバスで葬儀社に行ったと聞いたとき、タクシーで駆け付けた私は腹が立ったし、最晩年の義母のことは全く無視して現れなかったことにもなぜだろう、そんなに嫌いだったのかと思っていました。納骨の席でにこやかに皆と歓談して愛想の良い彼女を、私と夫はあきれ果てて見ながら、でも、今この時も、自分の内面に鬱屈たる思いを抱え、心身ともに苦しむ若い姪の事を考えています。うちに来る沢山のゲスト達はそれぞれいろいろな思いを抱えていて、言葉も全部わからず、生い立ちも事情も知らないけれど、着物や文化を見ている時の表情の中に時々現れる影や悲しみや孤独を、私は強く感じることがあります。

 バスの中で長女と、それぞれが抱えている孤独や心の闇を認め、直視し、それを何らかの手段で表現しあらわすことで、この世の中には救いも希望も慰めも存在しているということを誰かに感じるきっかけになって欲しいと思うアーティストの力について話しました。沢山苦労して、いやな思いもたくさんして、義母には一番疎まれてきた長女は今澄み切った心で前に前に進んでいます。

 私は孤独だ、両親に愛されて来なくて、子供がいても仕事をしていても、心の奥底が苦しいと、ゲストに泣かれたことがありました。ネイティブアメリカンとアイリッシュのハーフだという彼女は、いろいろな思いをしてきたのでしょう、ちょっとお酒臭い彼女を抱きしめ、つけまつげの下の涙をティッシュで拭いながら、私は「私も孤独だよ。でもこの瞬間、私はあなたを愛しているよ」とささやき続けていました。孤独だということ、真っ暗な闇の中にいること、その感覚を知っている人はたくさんいます。でもすべては自分の心が見せている世界なのでしょう。闇があるから光がある。光が無ければ闇はない。自分の心次第で世界は変わる。

 そこまで来るのに、私は何十年もかかったのです。心底腑に落ちる、私の中にある何かで、ゲストの心に答えることができる。私が心から好きなものを語る気持ちを理解してくれるゲストがいる。だから大丈夫。大丈夫。いつも一緒にいなくても、一生に一度しか会わなくても、ただひたすらに独りだったとしても、どうしても一人でも、それをきちんと認めて見てあげて、それから進めばいいのでした。自分が生きている間考えたこと、やって来たこと、それがすべてだ。たゆまず歩みなさい。お釈迦様の最後の言葉です。若い姪も、案じて支えてくれる旦那さんやその両親の真心に触れていればいつか闇から抜け出せるかもしれない。義母の死は、私達にいろいろなものを見せてくれました。感謝しています。