160㌔

 納骨が終り、セッティングしてあった四十九日までの段組やグッズを全部片づけ、遺影を鴨居の上に飾り、位牌を仏壇の中に安置して一段落し、ほっとして今日の史上最難関のゲストを迎える準備をはじめました。朝に成田について、荷物をホテルに送ってランチを食べてからうちにやって来るとのこと、50代の夫婦と義母、そして160㌔の精神障害がある24歳の姪がメンバーで、今日はかなり暑いし家の中で写真を撮ってから、洋服で柴又へ行こうと思うけれど、10時間のフライトの後ではかなり疲れているはずです。今までも何人か日本に着いたばかりで来るゲストはいて、メキシコの男性二人は高砂のすし屋でビールを飲み寿司を食べてからやってきて、柴又もあまり長時間だとつらいようでした。

 ランチを食べて30分早くやって来たオーストラリア組は、パパより大きくて年上のシンシアも、ナイスガイのパパも、パパのお母さんのケイシーもみんなふっくらしていて、そしてパパの兄弟の娘さんのエイミーは24歳、160㌔、そしてシンシア曰く10歳程度の知能だそうです。でも日本のアニメが好きで、私にはわからないキャラクターのTシャツを着て、AdoのCDを掛けるとワンピースの歌を一緒に口ずさんでいます。気温がどんどん上昇しているので冷房を少し入れて、まずパパに着物を着せ、おばあちゃまに青の菊の訪問着を着せ、エイミーは紫のサリーを巻いてその上から黒の大振袖を羽織らせてお姫様風にして写真を撮りました。

 シンシアには赤の大きい振袖を着せて何とか帯を結んでほっとしたら、椅子に座っていたエイミーが抹茶ラテの入ったコップを倒し、液体の上を振袖の裾をひきずりながらこちらへ歩いてくるので、私は真っ青になってしまいました。ああああああああ!夫がタオルで床を拭き、私は裾をタオルで拭いながら、20年前に作って50回ぐらい着て、まだ一度も悉皆屋さんで手入れをしたことがないこの黒の大振袖を手入れするタイミングが訪れたのだと思っていました。大人三人にはその後浴衣を着せ、単衣の着物なども見せて着物の種類などを教えてから、洋服で柴又へ向かいました。参道を歩くまでは良かったのですが、靴を脱いで庭園エリアに入ろうとすると、エミリーが足が痛くて歩けないから座って待っていると言い出し、私達だけで色々回りました。日本文化は初めてであらゆるものに興味津々の三人は春らしい景色や彫刻を楽しみ、喜んでいました。御朱印帳を買って記帳してもらい、お賽銭箱に小銭を入れ、縁結びのお守りをシングルのおばあちゃんは買っているのを見ていると、彼らはかなり日本文化を予習してきたようです。

 それにしてもまだ日本に来たばかりだというのに足が痛くてたまらないエミリーは、これから京都広島大阪と回れるのかしらと心配になります。柴又からの帰り道、エミリーはまた動けなくなり、駅の改札口でおばあちゃんと待っているというので、シンシアとパパだけでうちへ戻り、おいてあった荷物を持って帰りました。エミリーの生い立ちを話してくれたけれど、オーストラリア英語を早口で言われるとどうにも理解できず、相槌だけを打っていたけれど、この旅行はみんなにとってかなり負担です。タクシーにも乗れないのではないかと思うし、無事帰れるのかも心配です。

 いろんな人生があり、いろんな負担がある、何とも言いようがありませんが、抹茶ラテの染みこんだ大振袖は長年の汚れをやっと取ってもらえるし、業者さんにもあのすばらしさを見てもらえると思うと、少し嬉しいのです。