トルコ人のパパ

 昨年の9月に来たゲストは、今まであったことのないタイプの女の子でした。

 

 九月も半ばだというのに昨日もかなり暑く、午前中にマックを買いに電車に乗って金町へ行こうと思ったら、高砂駅で停電が起きて電車が一部止まっているというのです。金町線は動いているのでマックを買いに行けたけれど、今日来るゲストは大丈夫かしらと心配していると、一時に「今浅草にいるけれど遅れていく」と連絡があり、15分遅れで到着したドイツの“黒い森”から来たという27歳の女の子はパパがトルコ人で、色の白いふっくらした可愛いタイプです。日本語を少し習い、ドイツ語トルコ語英語を話し、大学院で言語学を勉強していて、将来はドイツ語を教えたいけれど、見た目はドイツ人ぽくなく、なんとなく不思議なタイプです。顔が丸いからと気にして真っ直ぐの多い髪をおろし、ラーメンの絵と字が書かれたTシャツに綺麗な水色のゴムのスカートを履いていて、この前来たドイツ人のレナちゃん一家の着物姿の写真を見せると「見るからにドイツ人だ」と言い、自分はそうではないと他人事のように話します。確かにドイツ人ではない、何よりも選択が早く、中国人が好きなカラフルな訪問着にフリル帯を選んだのにはびっくりしました。この着物は小さい、ふっくらした彼女には厳しいサイズだし、フリル帯を選んだのも初めてです。来た時の服装も特異だし、ドイツ人でもなくトルコ人でもない、細かいことは気にせず、着物を着ても素足が見える歩幅で歩くのです。

 レナちゃんの妹が、ヘアスタイルが決まらずいつまでも髪をいじり続け、何事にも長考なのに比べて、物事を決める基準が早い彼女のアイデンティティーはどこにあるのでしょう。帰ってから速攻で送ってくれたレビューには私の体験は“thought-through”考え抜かれた、とあって、この言葉をもらったのは初めてです。

薄紫の単衣に着替えて柴又へ行った時、外国人の家族が境内にいて「どちらの方ですか?」と私が聞くと「ドイツから」と男性が答え、「私ドイツ人です」と彼女が言って、それからマシンガントークが始まりました。渋谷に宿泊している家族に、あなたはドイツ人らしくないと言われた彼女が、父はトルコ人だと答えていて、面白いなあと私はそばで聞いていて思いました。

彫刻コーナーでもいろいろな話をして、ひらがなや漢字も少し読める彼女に阿吽のこと、龍のことを教え、帰り道ではLGBTQについてどう思うか聞かれ、目の前に現れたゲストがそうであったら、受け入れるのが私の役目だと答えていて、今までのゲストは日本文化とか着物を味わう、異文化を楽しむというスタンスだったのに対し、彼女の場合、自分自身が異文化であって、その形を明確にし、そして改めて受入れられるか考えているのではないかと気がつきました。ドイツ人に対してもトルコ人に対しても、心から受け入れる気持ちにはなれない、批判もあるし冷ややかに見てしまう時、では自分は何なのかと問いかけられてしまうと、まだ何も返答ができない状態のようで、だからいろんなところへ行って様々な感情を味わい、自分の方向を見つけようとしているのでしょう。

 彼女は何かの解答を得たくて、私のところへやってきている。バングラデシュ人のタイファも、アメリカ人のアシュレイもそうなのです。求められるものが大きい気がするのだけれど、テレビを付けるとプーチンと北朝鮮のトップが仲良く会談をしていて、それを何のコメントもなく延々と放送しているテレビ局は、彼らが多くの人を殺したり、ミサイルを撃ち込んだり、横田めぐみさんを麻袋に入れて拉致して解放しない暴挙を繰り返している人間だという事実すら認識できないのです。狂っている。壊れている世界。教育も、労働も、正しく働かない清潔で安全だけれど思考能力のない日本より、薄暗いフィリピンの民家の団らんの中の方により真実があったのではないか。

 体の中に違和感を感じ、闇を見ながら、トルコの血とドイツの血のはざまで彼女は進んで行きます。30日まで日本に滞在、大阪、京都、奈良、広島各地を巡り、今晩は一蘭でラーメンを食べるそうです。

金沢大学にいるレナちゃんからレビューが来ました。3回目の体験、いつも通りありがとうございましたとあり、金沢に遊びに来て下さいとのことです。ドイツ人の案内する金沢はどんなだろうか。