モノを売る前に自分を売れ

 客に自分という人に興味を持ってもらい、人間関係を構築できないと新しいビジネスは生まれないということに納得しています。道楽からビジネスへ。異分野、異文化の人間の交流を目指しているものの、英語力の足りなさや知識のなさをいつも感じていて、そんな時着物や茶道の奥の深さを実際に見てもらえるということが強いと、今更ながら気がつくのです。帰り際のティーセレモニーをじっと見ていた26歳の一人旅のシンガポールの女の子が、お菓子を食べるように勧めると「茶道の一連の動作に見入って圧倒された」と言い、レビューに書かれた「eye-opener」という言葉に私は驚きました。彼女は昨日京都から帰ってきているけれど、抹茶も飲んだことがないし、仏像も見て来なかった。

ワルシャワ大学の数学の教授夫妻が夏休みの学会の合間に体験に来てくれ、家の中で訪問着を着て写真を撮った時、選んだ袋帯が着物と合わず、残念がりながらあきらめたその帯を最後に奥様にプレゼントした時、目を丸くしていたけれど、その帯の質感や模様を理解し好んだという日本文化へのリスペクトは、彼女の幅広い教養の表れだと感じたのです。教養とは世界に通用するパスポートであり、異分野異文化の物事をつなげる力を持っている、そしてそのために宗教を理解することはとても重要なことだそうです。 

どんなに稚拙でも自分の技術で自分の力でこだわりながら話す、考えることをしなくてはなりません。宗教(Region)は、ラテン語の(Religio)が語源で、再びつなぐという意味であり、神と人間を再びつなぐのです。宗教とは神、または人智を超越した存在を中心として、教養や戒律を定めたものであり、世界の様々な社会、人の立場に立って考え行動するには、その社会の歴史や文化、価値観を知ることが極めて大切になり、これらの基底にあるのが宗教なのです。イスラム教は遠いアラブの国の話ではなく、マレーシアの国教はイスラム教だし、インドネシアにも2億人以上のイスラム教徒がいて、出生率が相対的に高いイスラム教徒は将来世界最多の信徒を持つ宗教となる可能性が強いのです。宗教を軸とした歴史という大地に、政治、経済、社会、文化、科学という様々な花が咲いています。

ヒジャブを付け黒ずくめの洋服を着たバングラデシュ人のタイファは、17歳で結婚し、子供が三人いて今はカリフォルニアに住んでいるのですが、やってくるなりカーペットの上で祈りを捧げ、勤めを果たしてから、目を輝かしてあれこれ着物を羽織り、刀を持ってポーズし自撮りをし続け、ティーセレモニーもこなして美味しそうに抹茶を飲んでいました。帰ってからもメールを送ってきて、今まで味わったことのない文化がとても新鮮で嬉しかったとあり、十代で子供を産み子育ても終わった時、自分を成熟させるきっかけを探している姿の貪欲さや、宗教が身体の中にあり、家庭があっても、何かがない、何かを求めている姿を知って、私は意外な思いがしました。

最近の世情は倫理観を欠き、他人を攻撃し苦しめることが当たり前になってきている、自分の心を見つめる胆力が無くなり、成熟せず果実は落ち、紅葉しない葉が緑色のまま枯れていきます。規範がない、仰ぎ見る景観を見た時の言葉が「スゲー、ヤバイ」に留まってしまう、もっともっと深い言葉たちを取り戻したいのです。最近来るゲストは、最後に言葉に詰まって泣くことがある、私もゲストと話していて思わず言葉に詰まり泣いてしまうことがあります。華やかに着物を着た美男美女のカップルでも、大きい新居を見せてくれたハネムーンカップルでも、結婚式の素晴らしい衣装を着けたカップルでも、不意に見せる孤独の影や闇があるのを、闇と共に生きている私は感じて絶句します。

こんな言葉たちがニーチェと共にありました。

「いつか空の飛び方を知りたいと思っているものは、まず立ち上がり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。その過程を飛ばして飛ぶことはできないのだ。」

「世界には、君以外には誰もあゆむことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。ひたすら進め。」

「あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。」

「世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。」

「一日一日を始める最良の方法は、目覚めの時に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。」

「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。」

「独創的―何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にも触れていたが見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、芯に独創的な頭脳の証拠である。」

時の流れが変わり始めています。この世界の果てに待ち受ける脅威。「私たち世代が未来に残さないといけないものは何なのかを真剣に考えていく。伝えたい人に届く方法を自分なりに前向きに探し続けていく。」東京オリンピックの演出を辞任せざるを得なくなったMIKIKO氏が2021年に綴ったコメントです。「ひとつ苦しめば一つ表現が生まれる。一つ傷つけば一つ表現が創れる、ボロボロになる。その分だけ輝けるんだ」堂本光一さんの舞台の中のセリフです。その表現で、その演技を見て、苦しんでいる人が救われる思いがするように、そんな思いで身を削っている存在もあるのです。未来に残さなければいけないものは何なのかを真剣に皆考え、伝えたい人に届く方法を探す、今それをしなければなりません。