すずめの戸締り

 いつもテレビのチャンネルを握って離さない夫が、今夜は「すずめの戸締り」という新海誠監督の映画がノーカットで放映されると言い、少し見て「つまらない」そうで9時過ぎにもう寝るというので、私は11時半までじっくり見ることが出来ました。「君の名は。」「天気の子」そしてこの「すずめの戸締り」は若いゲスト達が時々好きなアニメだと教えてくれるのですが、私には今一つピンと来なかったのです。

 新海監督らしい超自然な描写や時空の変換がダイナミックに映し出され、宮崎アニメとは違うタッチの画面を、私も若いゲストと同じ気持ちになろうと努力しながら見ていたとき、すずめちゃんが自分が小さい時に描いた絵日記を見るシーンがあって、可愛い絵が続く頁をめっくていると、みんな黒く塗りつぶされた箇所に行き着きました。上の日にちの欄には「3.11」と記されています。ああそうか、鳥肌が立つ思いで、全部納得しました。すずめちゃんのお母さんはあの日に亡くなったんだ、一人ぼっちになった彼女は宮崎に住むおばさんに引き取られて、そして17歳になったのでした。

 これは日本各地の廃墟を舞台に、災いの元となる”扉”を閉めていく旅をする少女・すずめの解放と成長を描く冒険物語で、「10年間は、ずっと2011年のことを考えながら映画を作っていた」「場所を悼む物語を作りたかった」それであれば、人々の思いや記憶が眠る廃墟を悼む、鎮める物語はどうだろうかと考えた。2011年に起こったあの出来事は、実際に被害に遭われた方々の心はもちろん、日本という国の歴史までも大きく書き換えてしまった。世界が書きかわってしまった強烈な記憶。今、描かなければ遅くなってしまう、焦りのような気持ち。あれほど僕らにとって巨大な出来事だったのに、11年が経って、共通の体験として分かってもらえないようになっていて、あの日、多くの人がまざまざと感じた強い揺さぶりを、改めて共有するタイミングは、今でなくては遅くなるのではないかと思ったと新海監督はいいます。

 どこか知らない町に住んでいて、学校から帰ってくると、勉強する気にもなれず、テレビや読書にも興味が沸かなくて、漠然と将来に不安を抱きながら、何となく窓の外をぼんやりと眺めている、そういう若者が多くいる気がします。災害という悪意も善意もない、人間の力ではどうにもならない巨大な力をいつもおそれ、それに加えて理不尽に狭くて不自由な空間に閉じ込められていたという、コロナ禍での強い感覚があるのです。自分達が住んでいる国は優秀で、いろんな問題もうまく立ち回っていると思い込んでいたけれど、コロナを通じて、それが幻想だったと客観視出来てしまい、それへの対応を諸外国と比較することによって、日本が今でも未熟な国であることが明確になってしまった、でも私たちは住み続けている日本の風土や文化に深い愛着を持っていて、それはすごく不思議な感覚で、愛着を抱くと同時に、そこに縛られているような複雑な気持ちがします。

 日本にやって来る沢山の外国人たちは、他の国に比べて日本は安全で食べ物が美味しく、人々は礼儀正しくて親切だと口々に言います。私もそう思う。だけれど危険な事態に陥ったり、相手が自分を憎んで攻撃を仕掛ける、災害やコロナウィルスといったどうにもならない巨大な力が襲ってきた時、どうやって戦うか、どうやって他の人をも救おうとできるか、どうやって心を冷静に正常に保って前に進もうとできるか、それがわからない、そういう目に遭ったことが無かったのです。

 前作の「天気の子」では、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」するストーリーで、社会のセオリーから外れても自らの選択を貫こうとしました。かつては穏やかに移ろう四季の情緒を楽しんでいたはずの気象の変化が、いつのまにか危機に備える必要がある激しいものとして、とらえ方がすっかり変わり、これからは、天気は楽しむだけのものではなくなってしまうだろうという、不安や怖さを実感しているのです。生きることの厳しさを知っているゲスト達は、楽しく四時間を過ごして帰る段になるとすっと無表情になり、淡々と別れを告げられるとはっとすることがあるのですが、レビューは思いがけなく優しかったりするのが意外でした。

 たとえ運命が恐ろしいものであったとしても、何かを選択することにより、その方向を変えようと努力することが出来ます。私たちはあの恐ろしい津波がすべてを飲み込む様を目の当たりにし、コロナ禍の中、誰もいない正月の柴又のお寺を見て、それを忘れてはいけないのです。それを心の中に強く思い出す、ミミズが廃墟の入り口から高く空に舞い上がり、人々を滅ぼそうとする、それを見たらその入り口を身をもって塞がなければならない。そのための体力とスキルと思惟を深め、咄嗟の選択がより良いものになるように鍛錬していきます。まずは膝の痛みと腫れが取れて、屈伸ができるようにしましょう。明日は久しぶりにゲストが来ます。静かに静かに動きます。