おじさんは宝石商   2023年7月

旅行のスケジュールを代えたので、予約の日にちを早めたいというアメリカの40代の一人旅の女性からリクエストがあり、一日早い火曜日に予約をセッティングして待っていると「これから行きます」というメールが入りました。ところが今どこにいるのかしらと思って見たスマホに、「ごめんなさい、私のミステークです。今京都にいます。明日行きます!」とあって、あれあれこういうのは初めてのケースだけれど、明日二人来るゲストと一緒に体験をする方がいいかと思ってクーラーを切り、ゴロゴロテレビを見てその日は休みました。

 夫は京都にいるのなら明日は来ないよと言っていたのですが、翌日の12時半にそっとドアを開けて入ってきたのはストローハットをかぶってデニムの洋服を着たSandiqで、京都からちゃんと帰って来られたのでした。22歳の娘さんがいて、アラブの血を引く彼女はシングルマザー、時々話す英語が理解できず苦戦しましたが、浴衣を選んでから頭に沢山髪飾りを付けている時に、もう二人のゲスト、小柄なカップルがやってきました。ドミニカ共和国がオリジンのJordanは入ってくるなり熱く握手して日本語で話し始め、秋葉原のホテルに宿泊している今どきのオタクっぽい26歳のハンサムな若者です。指輪を5つ、ネックレス、Tatooもたくさんあって、彼女の22歳のコロンビア人の二コルは鼻ピアスもたくさんしていて、あとで聞いた話ではおじさんが宝石商でいろいろいただくとか、地味なんだか派手なんだかわからないけれど紫の浴衣を選びピンクの大きなリボンを付けて、可愛らしい浴衣姿が出来上がりました。

 みんなで良く話をして旅行情報を交換しているのが有難く、いつも通り写真をたくさん撮ってからティーセレモニーをして、全員お腹が空いているので頂き物の資生堂のゼリーを出し、一人ずつお茶も点てて前半のコースを終了し、昨日よりは少し涼しい風が吹く中を柴又へ出かけました。京都では自転車に乗ってたくさんのお寺を回ったそうですが自分の写真は撮れなかったので、私はSandiqの写真をたくさん撮り、ジョーダンはポラロイドカメラも使ってモデルのようなポーズをとる二コルの写真を連写しています。

 落ち着いた二コルは22歳、Sandiqの娘さんと同い年なのに、なんだかSandiqの友達みたいな感覚でいろいろ話していて、三人ともUSAに住んではいるけれど、それぞれのオリジンの国の気質が強く現れ、二コルは臨床心理学を勉強しているけれど芸術家気質が強く、落ち着いて人懐っこい、コロンビア人です。ちょっと軽くて明るいジョーダンはカリブの若者、私のサイトに書かれている内容は正直わからないと言われたけれど、アニメやゲームや歌やいろいろ大好きで、柴又のお店にある仏壇に供える茶器をママのお土産に欲しがったのでそれはやめてもらって、うちにあった頂き物の九谷焼の蓋つきの湯呑茶碗をプレゼントしました。

 かき氷やアイス草団子やお団子、今川焼を御馳走し、帰ってからは駄菓子をつまみにビールや日本酒で乾杯、女性陣には着物と帯と帯締めをプレゼント、本当に娘や孫がはるばる遠くから遊びに来ている気持ちで、四時間私はいつも過ごします。そして彼らの中にあるものを見たくて、いろいろなアプローチをしたり質問をしたり写真を撮ったり、そしていつもその着物姿の美しさにほれぼれしながら、帰り道また頑張ってお話をします。夫も私もSandiqの言葉が聞き取れないことが何回かあって、聞き直してもわからない、なんでだろうと思っていたら、彼女はアラビア語でお祈りができるとスマホ翻訳で教えてくれ、私が知っているアラビア語「インシャラー」を言ったら喜んでくれました。

 一緒にいる時はあまり感じなかったけれど、着物や帯の選択にしても迷いが結構あり、あとで撮った写真を見てもアイデンティティが薄い感じがあり、気持ちがさまよっている気がするのです。若い二人はじゃらじゃらアクセサリーを付け、指輪を沢山はめてTatooもカラフルにあちこちしている。お茶のお点前もうまかった、南米の男の子はことのほかお茶のお点前をすることを喜ぶ傾向があるのです。

 最近外国人と結婚して海外に住む日本人女性のユーチューブをよく見るのだけれど、食事にしても文化にしても、例えばアメリカには何もない気がします。それに比べて、日本に来て着物を着てその品質や模様の謂れ、歴史、仏教や神道の意味、売られているお守りや達磨の意味、どれだけ意味のあることが含まれているのか、計り知れないものがあることに皆驚くのです。

 私はもっと頑張って、もっといろいろなことを伝えたい、私たちが生きている意味、大事にしなければならない感情、文化と文明の違い、私たちの心を何が満たしてくれるかということ。

 1020人のゲストの感情を、思いを、未来をどうやって広げていけばいいのでしょう。この世のあらゆるものは、未知なる世界への挑戦だし、今まで誰も教えてくれなかったことを、答えを知らないことを、追い求めて行けばいいのです。暑いさなか東京のはずれのこの町まで汗をかきながら来てくれるゲスト達に、私はこれまで生きてきて何をしたかったのか、何の夢を叶えたかったのか、伝えようとしています。着物や伝統や文化や宗教や、美しさや楽しさや歴史の意味や人が生きていく上で大事にしなければならないことをギフトとして差し出したいのです。

 ビールで乾杯して、冷たい日本酒をおちょこでみんなで飲んでいい気持ちになると、どんな英語で話しているか考えず言いたい事を言いたいように言っていることに気がつくし、最後に私たちのために歌ってくれるゲスト達の歌声を聞いていて、泣いてしまうのも、これまで69年間もがきながら前へ進もうと努力してきたことを思い出すからなのです。

 アメリカに帰ったアシュレイが、突然生き甲斐とは何かとメールで質問してきたけれど、明日がどうなるか、世界がどうなるかわからない中で、私の前に現れてくれる人たちに、最善を尽くして私を差し出すことが生き甲斐だと、答えようと思います。アシュレイは少女時代に虐待されてきた馬を救い出し、立派に育て上げた。そういう努力ができることが私たちのアイデンティティになるのです。最後の最後まで、自分の物語を紡ぎ続けましょう。