I LOVE YOU 2023年 9月28日

 私の体験に来て下さるゲストは、特殊なスピリットを持っているタイプが多いと最近特に感じているのですが、昨日タクシーで新宿からやってきたジャネットは、今までで一番強烈なキャラクターでした。渋滞でうちに着いたのもかなり遅かったのですが、ロングヘアで長いつけまつげ、タイで買ったという緑の着物風ショートガウンにライトグリーンのふわふわのサンダルといういでたちでタクシーから降りた彼女を出迎えながら、「すごーい!」とまず思い、タクシー代が11000円なのに驚き、カードで払うのに手間取っている間に近所の方々が通りかかって唖然としている姿を見ながら、そうだろうな、でも私はこれから4時間弱の体験を組み立てていかなければと考えていました。

英語をゆっくりしゃべってくれるのはありがたいのですが、どうもお酒臭く、お腹は空いているらしいけれど、食べ物にこだわりがあるようで、タイ土産のクッキーは美味しいと言って食べ、お米も好きだというので昼ご飯の残りの太巻きや干ぴょう巻きを出し、ペットボトルのお茶をよく飲んでくれました。柴又へ電車で行くタイプではないからうちの中で着物を二枚着せてティーセレモニー体験をしようと決めて、明るい色が好きだとメールにあったのでなるべくカラフルな大きい着物を出して置いたら、私たちの年代に流行った緑の絞りの振袖や、赤の豪華な振袖が気に入ったので、まず赤の方から始めることにしました。緑のタイのガウンを脱いでもらったら、下には小さいバタフライ?のようなTバックの下着だけで、自分でもお腹の肉はないけれどヒップが巨大と言うように、かなりあるので、何も履いていないようにしか見えないのです。この格好でタイではゾウと戯れ、世界各地を旅行しているというジャネットは、着物を着ながら核心の話をだんだんし始めました。ネイティブアメリカンとアイリッシュのハーフで、お父さんはかなり高齢、両親に愛されたことが無くて、別の家庭で育てられ、20歳で長女を生み、今は女の子三人の母だけれど、夫はいない、会社を持っていて、年の離れた兄弟がいるけれど、自分はいつも限りなく孤独だという。

 ああこれは、エアビーの仕事をする前に来たカンボジアとオーストラリアのハーフの20歳の女の子と同じ嘆きだ、あの時は物凄い早口で何を言っているのか全く聞き取れず、辛うじてカンボジアのおばさんたちはポルポト政権に殺されたこと、両親は離婚してオーストラリア人のお父さんが再婚したのはオーストラリアの女性で、弟ができたけれど自分はいつも一人で、孤独で心の持って行き場がないというようなことを嘆いているのがわかりました。でも私には返す言葉がなかったのです。何を言ったらいいのかわからない、暗澹たる気持ちに落ち込み、唯一並んで抹茶を飲んだ時和やかな顔をしてくれたのが救いでした。あれから5年以上たち、パンデミックの3年間を挟んで、エアビーから1000人以上のゲストがやってきました。一番心に引っかかっているのは日本の大学で勉強して日本語の堪能な綺麗なユタ州から来た女の子が帰り際に告げた「私はネイティブアメリカンです」という言葉と孤独な目の色でした。日本語でも返す言葉がなかった、何も言えなかった、でも今でもその声を覚えています。

LGBTQのカップルや一人で来て女の子の着物を着たいと言った男の子、ボーイッシュな女の子だけれど、静かに男物の着物を選んですっきり着こなし、通りがかりの外国人に絶賛されていた子。カップルで来て幸せそうに手を繋ぎ写真を撮るゲスト、子供連れの賑やかなファミリー、いろんなパターンのゲストが来て、帰って行った、私の心の引き出しには彼らの言葉や表情がたくさん入っている。

綺麗に着物を着て沢山髪飾りを付け、扇子や刀を持ってインスタ用に様々なポーズを取りながら陽気にはしゃぐ彼女に、二枚目の水色にピンクの振袖を着せていると、そばにある絞りの緑の振袖は幾らかと聞いてきました。私と同じ年の近所の方に戴いた古いもので、このタイプをゲスト達はなかなか選ばず、初めてのご指名をいただいてさぞ着物も嬉しいだろうと思いながら、「プレゼントするよ」と言ったら、彼女は物凄い怖い顔をして、「ノー!」と言いながら黙り込んでしまいました。

 ピンクと水色の淡い可愛い振袖もジャネットには似合って、ちょうどビヨンセの音楽をかけていたのでそれに合わせて振袖で踊り出した姿を動画で撮ったり、ティーセレモニーもきちんとやってうまく飲めたし抹茶も点てられ、最後に二階に連れて行き、神棚を拝み、鎧と写真を撮り、仏壇にお線香をあげて鉦を鳴らし、長火鉢でお酒を燗する真似をしたりして、いろいろなものにとても興味があるようで、聞いてみるとオークションで仏像を買って自分の部屋においているというのです。神は自然界の中に宿っているというネイティブアメリカンの本を読んだことがあるのですが、不純物は体に入れない、コロナワクチンも受けず、薬草などでつくったものしか使わないからクスリは飲んだことがない、食べ物にも気を付ける、とアメリカ人とは全く違う生き方をしている反動で、アルコール(彼女は朝からテキーラを飲んでいました)はたくさん飲み、タバコも吸い、精神的に不安定なところも多い、足首にキティちゃんの可愛いTatooをして胸の谷間にも花の入れ墨があり、凄く痛かったとのこと、ピュアなところと現実の厳しさや私には想像もつかない屈辱や差別を受け、でも逞しく生きている彼女は、着物を脱いでほっとしているところで静かに本音を語りだしました。あとからあとから言葉が出てくる、私はすべてを理解することはできない、これが日本語だったとしても、わからないことはわからないのです。

 目に涙がたまってきて、孤独だ、いつも孤独だと言葉を紡ぐ彼女に、私はどうしたらのいいか。こんな辺鄙なところまでタクシーを飛ばしてきてくれたジャネットは、何かを聞いてもらいたい、苦しみを吐き出す場所を探している、あの時のカンボジアの少女と同じなのです。あの時から5年たち、フィリピン旅行をして新しい感覚も持つことができた、なんで生きているかわからないと言ってヘッセを読みふけっていたドイツの男の子に、禅の十牛図を読んでと言ったこと、私は今やっと自分の言えることがわかってきています。彼女のところへ行き、強く抱きしめて、「わたしも孤独だよ。ずっと孤独だよ。だから私はあなたのことを愛しているよ」と言って、二人で泣きながらしばらく時を過ごしました。長いつけまつげの下から涙があふれて、ティッシュペーパーを渡しながら、何回も抱きしめました。「孤独というものは、周りに誰もいないことからなるのではない。自分が大切だと思うことを他人と共有できないこと、他人と共有できないと感じることなのだ」ユングの言葉です。ジャネットやアシュレイやタイファが大切だと思っていることに、私は心から同感し、その気持ちを共有することができます。日本人と話しているよりも、ネイティブアメリカンのジャネットの言っていることに心から納得できるのです。

フィリピンへ行った時、旅行することもぜいたくすることもなく、淡々と暮らして穏やかに年を取っている村のおばあちゃんにスマホを向けると、屈託なく笑ってくれました。ジャネットは世界中を旅している写真を見せてくれ、フランスから一人で来た、カメルーンとフランスのハーフで日本語の堪能な女の子も世界中を旅して、家族でクリスマスを楽しむ写真などたくさん見せてくれたけれど、本当は両親は離婚していて、職場で彼女はひどくいじめられ、体にも障害があって、孤独だった、だから私のところに来るのでしょう。

孤独は必要です。孤独をしっかり認めた時、人は孤独ではなくなる。その感覚があるから、私はジャネットを抱きしめたいのです。お土産に、三人の子供の着物と彼女の振袖を風呂敷に包んで持たせて、ジャネットはウーバーでタクシーを呼んで帰って行きました。またお酒をたくさん飲むのでしょう。でも最後に彼女の部屋と飾られている大きな仏像の写メを見せてもらって、私はほっとしています。大丈夫、守ってもらえる。しきりに心の拠り所を探していると言っていた彼女に二階の神棚や仏壇を見せてよかった、お茶の作法も教えてよかった、こういう文化の本質を彼女はしっかり理解しているけれど、こころが限りなく不安定なのです。ハーフというのは大変なことだなと改めて思います。