ジョーカー   2023年8月

今日はフランス人の女の子とマダガスカル出身の彼氏がゲストとしてやってくる日で、マダガスカルという地名は私にとって魅力的に響き、とても楽しみにしていたのだけれど、急にキャンセルの知らせが入りました。いろいろ事情があるだろうし、彼にはサプライズだと書いてあったから、着物よりもっと興味のあるものがあると言われたのかしらからなどと思いながら、あと二人のフランス人のゲストを迎える支度をしていました。ゲストの人数が四人と二人では、各段に私の疲労度が違うのだけれど、ゲスト同士の会話がない分余計頑張らなくてはならないし、フランスから来ると言ってもアジア人の場合もあるので、自分の気持ちは決めず十分遅れのゲストを迎えました。

180㎝のニコラは、髪をサムライスタイルに結んだイケメンくん、カミちゃんは黒髪のロングヘアのフランス人ぽいフランス人で、二コルは4回目の日本だそうで日本語も少し話します。オタクでシャイな二コルは今までは一人で来ていて、今回は4年前にオンラインで知り合ったフランス語の先生のカミちゃんと一緒なのだけれど、最近の傾向で、二人でいてもラブラブで幸せというオーラはあまりなくて、二コルは時々深い目をしてじっと私を見つめてきて、この子たちは何かを探しに私の体験に来ていると気が付きました。フランス人だなと思ったのは、彼女のどんなとこが好きか聞くと、シニカルで「嘲笑主義者」なところとスマホで翻訳して見せてくれて、彼女はジョーカーだというのです。そして私のサイトのコメントが、sensitiveだからこの体験を選んだと言われ、最近はそこがポイントなんだなと思う、アシュレイもアジア系の若い男の子たちも、ロン毛を後ろに結んだアメリカ人のベンも、同じことを言っていて、その感覚がなんだか知りたくてわざわざここへ来るのです。

 着物を着てたくさん写真を撮るためにきているわけでもない、私はとりあえずカミちゃんと遊ぶことにして、714日の革命記念日には花火がたくさん上がるという話を聞いて二人で「ラ・マルセイエーズ」を電車の中で歌ったり、自撮りして楽しみました。彼らの住むストラスブールはドイツの国境が近く、イタリア人とのハーフの二コルとユダヤ人のカミちゃんのカップルは独特のオーラを持ち、暑い中お寺へ行って彫刻エリアに入ると、イラストデザイナーのニコラは熱心に見ているので、彼の作品をスマホで見せてもらうと、指輪物語の素晴らしいイラストがありました。私にはわからないけれどゲームなどいろいろなバージョンがあり、感性豊かな彼はいろいろ複雑な思いもあるようで、だからここにいるのでしょう。それにしてもコロナ前は女の子が着物を着たくて彼氏はお供で写真を撮っていたのだけれど、今は私が何を提示するかが見たくて彼女を連れてくるのだから、世の中は急速に変化しているのです。

 山崎ハコや梶芽衣子や杏里の歌が好きな彼と、読書が好きで村上春樹はもちろん読んでいる彼女に日本の作家の誰がいいか聞かれて私は吉本ばななを勧めたけれど、彫刻版の前でいろんな話をしていて、宗教はない彼とユダヤ教の彼女と仏教や神道のしきたりを守る私が話をするうち、かなり突っ込んだゾーンに入りました。ジョーカーの彼女は、私が見せている日本の文化というものはかなりハードだと言います。ちょうどお盆で、仏壇もいろいろ飾りつけ、しっかり神棚を拝礼し仏壇に線香を上げ、ティーセレモニーで型を重んじた所作で抹茶を点てて、何も考えずにそれをすぐやってもらうと、きちんとできるのにいつも私は感心するのです。

 反対にフランスの文化とは何かと聞いてみると、夕食を長い時間かけて食べること、バターや生クリームを使った胃に重たい料理を食べること、ストライキが好きなことと言い、これが文化なのかしらと驚くのだけれど彼らは真面目です。乳製品アレルギーで私が出したお菓子もセレクトしながら食べていた彼女は日本料理は素晴らしいと言い、枝豆や豆腐やおにぎり、そして酒も大好きなのです。

 フランスは多国籍な民族が集まっている国ですが、今はアメリカ文化が我が物顔にのさばっている、アラブの力もつよいと、この前来たドイツのカップルと同じようなことを言って彼らは嘆いています。自分の国、自分の民族、自分の文化、自分の美意識、自分の価値観、自分の大切なもの。私は69年かかってやっとそれを見つけ、そのことについて多くの外国人と話すことが、より一層自分の中の大切なものの存在をはっきりさせ、それが救いになっていくことにも気がついています。ニコラの深い目は、何かを探して、何かを拠り所にしようとしている。お釈迦様の言葉が蘇ります。他のものにたよるな。自分を拠り所として、ただサイの角ように歩めと。

 すべてはサークルである。阿吽のごとく。そして今彼を支えているのは、ユダヤ人のジョーカーのカミちゃんなのです。彼は着物が着たいので来たわけではない、でも帰り際日本語で「また来てもいいですか?」と言ってきた、その気持ちは、私たちが背負っている文化というくくりの中に、大事なキーポイントがあり、それを知ることで自分の生き方だったり仕事だったり、意識の持ち方が格段に楽になるということを感じているからではないかと思います。

 

 若い子たちがいろいろ模索しています。こうすることが一番いいと思われていたことが、ことごとく崩れ、コロナ禍の沈黙の中で、すべての価値観を再確認しなければならないことに気がついた。でもその時何を考えればいいのか、何を心の支えにすればいいのか。

「今自分が伝えたいのは何なのか」ということ、全く真っ白な所で自分が何をやりたいのかを明らかにする、毎日毎日いろんなことがあるけれど、最終的には向き合うべきものは自分だということ、そこから一歩抜け出せた時の感動や喜びは、他の人もどこかで絶対に体験している。表現することはただ一つ、人間という存在について。本質が何処にあって、それをどう理解していくかということ。

個人の時代になればなるほど、家族が共有するものをどう作っていくかというのが一つ、大きな問題になります。自分はいったい何者なのかと考えた時、伝統や文化をなぞり、家族の文化を辿ってみたとき、新たな価値観を見つけることができ、意味が解る、そういう文化や精神を大事にしなければならないのです。自分が生きていく上での基本をしっかり作り、何処に軸足を置いて、価値判断の基準を作り、アイデンティをどこに持って行くかを考える、フランス人、ドイツ人、イタリア人、いろんな国のゲストが次々やってきます。