スカンジナビア半島は良くない?   2023年10月

このところ、出身地と今働いているところが違う国というゲストが増えてきました。昨日はノルウェーとデンマークから来るというので、早めに昼ご飯を食べて12時過ぎに玄関のチェーンを全部開けていると、もう向こうから外国人の小柄な女の子が歩いてきます。黒のショートパンツにTatooをたくさんした白い足がのぞき、これはノルウェーから来たメリッサだとわかり、声を掛けると「早すぎちゃって」と小さな声で言うので、大丈夫と中へ入れました。まだ抹茶も漉していないし、支度しきれてないけれどまあいいかと思い、お茶を出して話していると、Tatooをたくさんしているけれど参加してもいいか?という質問を予約する前にしてきた女の子には思えないほど静かで温和なのです。話す言語は英語とイタリア語とプロフィールにあったので、ノルウェー人ではないとわかっていたし、職業はバーテンダーとあるのでプロフィールの写真のようにパンクっぽいタイプだと思っていた私は拍子抜けしたのですが、ローマの近くの町で生まれ育った彼女は、イタリアは経済も悪いし好きでないから高収入が得られるノルウェーを選んだけれど、怒ったように聞こえるノルウェー語は嫌いだし、有名な食べ物はポテトとサーモンしかない、職場とスーパーと家は近くて面白くないようです。趣味はお化粧、好きな色はピンクと言いながら、水色とピンクの花が咲き乱れている振袖を選んでいると、次のゲストが定刻に現れました。

長い黒髪の大柄な美女は、スペイン語で予約サイトに返事をして来たから、どこの国の方かと聞いたらアルゼンチンと答えたのだけれど、お父さんはクロアチア人、お母さんはイタリア人で自分は2年前からデンマークのコペンハーゲンで料理や映画などのアートディレクターをして働いているとのこと、日本には一か月前からいて京都、奈良、金沢、広島など各地を回っていて四日後に帰るそうです。名だたる観光地を回り、楽しんできた彼女は柴又で満足できるか不安になったし、32歳でイタリア人好みの薄いブルーの訪問着を選んだものの、かなり大きいヒップなのでちゃんと着られるか、このまま電車に乗って柴又へ行けるか心配になりました。

先に着付けたメリッサは丁寧に化粧を始め、簡単にアップにした髪もずっと直しています。このタイプは自分のテリトリーのヘアメイクとメイクアップにずっと捉われているから、着つけに対してはあまり関心がないのはこれまで来たゲストで経験しています。ただ絽の長襦袢や伊達締めなど使ってきちんと振袖を着せたから、さぞ暑いでしょう。アルゼンチンのヤネットは長い髪をアップにして沢山髪飾りを付け、着物もちゃんと着ることができ、ティーセレモニーも終わって無事柴又へ出かけました。暑い?と聞いたらそんなでもないと言いながら、振袖のメリッサは扇子で煽ぎ続け、工事の保安員のおじさん方に「綺麗だね」と声を掛けられつつ駅に着くと、イタリアのヤンキーの彼女はだんだん地が出て来て、スマホの中のスイカのアプリをヤネットに教えたり、ヤネットの知らないゴスロリの話や、パンティーマンと言うハレンチなドラマの話をしたりしてけらけら喜んでいます。どう考えても前に来たノルウェーの20代前半でしきたりのように結婚する意志もなく同棲しているカップルの静かな性格とは全く違うから、ノルウェーよりイタリアにいたほうがいいのにと思うのです。ローマは観光にはいいよねとヤネットは言うけれど、経済も雇用状態も政治も悪い、ノルウェーは経済も賃金もいいけれど税金や物価が高い、日本はまだいろいろ安くていい国だと二人は口をそろえて言います。

偶然ですが、この日の夜にノルウェー人で世界各地を回った後日本に行きつき、今もずっと住んでいる女性のインタビュー番組があり、日本はあいまいでファジーで、変に重苦しくないところが暮らしやすいとのことです。お父さんは宇宙開発の研究者でイタリア育ちのイギリス系ノルウェー人、お母さんはノルウェー人のキャビンアテンダント、スウェーデンで知り合い結婚、ストックホルムで生まれた彼女は生後2週間でローマへ行き、その後フランスで暮らし、幼少時多くのヨーロッパの国で過ごしたおかげでペンタリンガル(五か国語を話せる人)になったのだけれど、いろいろな国で育ったので自分のアイデンティティに悩むようになったのです。母国語は三つ、ノルウェー人のお母さんとはノルウェー語、イタリアで働くお父さんとはイタリア語、イギリス人のおばあちゃんやベビーシッターさんとは英語で会話しながら、いつも周りがどんな言葉を話すのか注意していました。日本との出会いは4歳の時おばあちゃんからもらった日本人形がきっかけで、人形が大好きで沢山の人形で遊んでいた彼女は、綺麗だけれど壊れやすい日本人形は棚の上に飾って、憧れを持ちながら眺めていたのです。

うちにあった市松人形を持って行ったインド人のゲストから、ベッドルームに飾ってある人形の写真が送られてきました。民泊ホストをしている方のお母様の作品の木目込み市松人形はしっかり自分の居場所としてインドの国のおうちで暮らすことができると私は安心しています。人形にもアイデンティティがあるのです。

高校までフランスで過ごしたヴィックスさんは、大学はお母さんの故郷のノルウェーを選び進学しました。家ではノルウェー語を話していたのだけれど、ノルウェー政府は方言を混ぜた新しい共通語としてのノルウェー語を作り、敬語も禁止で、古い言葉を覚えているヴィックスさんは皆から何をしゃべっても笑われ次第に無口になり、自分が何者かわからなくなって悩むようになりました。日本ではみんな英語をしゃべりたいから、学校で英語を早くから教えようという動きがあるけれど、何処の国の英語か、言葉の本来の意味まで考えるのならその言語の歴史や文化まで考えなくてはならない、ノルウェーのように政府が言語体系を変えてしまうこともあるのだということを知り、日本古来の歴史も文化も知らないまま外国語を話そうとするのは危険だと、今私は痛切に感じています。スペイン語しか話せないチリのゲスト、ドイツ語しか話せないウィーンのゲスト、四苦八苦しながら手真似でコミュニケーションを取り、最後には日本語を覚えてもらったこともあったけれど、最終的に私が提示するものは着物の質感、羽織った温かさ、そして初めて着物を着た自分の姿の美しさであり、柴又のお寺の日本庭園、仏教彫刻の素晴らしさなのです。それらが私の原風景であり、私のアイデンティティはこうやって作られたということ、そしてエアビーの仕事を初めてそれを異国人たちにいかに伝えるかと考えている私は、たとえ世界中の言語が話せたとしてもできないことがあると思うのです。

私は前にタクシーで華々しくやってきたけれど、最後に孤独だと泣くネイティブアメリカンのジャネットに、何の言葉もかけられなかったけれど、その時に何の言葉も必要ないと思っていました。私が69年生きて来て辛かったこと、悲しかったこと、惨めだったこと、それとみんな同じ感情なのだから、それを認めて大事にしてあげて、それからまた前へ進めばいい、解答なんてないのだから、ただ自分が自分として誇りを持って立っていればいい、年の功とはこういうことなのか思うけれど、影響を受けた文学、音楽、美術、すべてが助けてくれるし、すべてが支えてくれる、だから私は泣くジャネットを心からただ抱きしめることができる。

 昨日のゲストは若くて生き生きしていました。何でもできる時代になり、何処へでも行けるけれど、沢山の人が殺され続けている時代でもあります。今笑っている自分達の運命が明日どうなるか、わかりません。でも、訪れてくれる外国人がいて、考える材料があり、手段も、磨けばいい技術もあることはありがたいことです。

それにしてもスカンジナビア半島は良くないと話す二人の会話を聞いていると、やっぱり唖然としてしまう狭い島国の私です。