加山又造    2023年9月

フィリピン旅行を挟んで、8月はとても忙しく、そして暑かったのだけれど、9月になると週末が暇で余り予約が入らないのは何でだろうと思っていました。日曜日に来た中国人のゲスト、小柄な27歳のジャーナリストと大柄な23歳の従妹の女の子たちは前日、門前仲町に住む方の街案内ツアーに行ってきたそうで、歴史がよくわかったと言っていました。まずい、私はあまり年号とか話さないと思って、翌日そのサイトを調べようとエアビーの東京の体験というページを調べると、その方のサイトも私のサイトも見つかりません。えっカットされているのだ、だから予約が入らないと納得、それにしても若い方々の体験が増えていて、これらを根付かせるためには、古いのは抑えておきたくなるのもわからないではありません。あらためて考えると、私の体験は異常です。やり過ぎかと自分でも思うけれど、やることがあり、与えられるものがあるのなら、先の見えない今、できる限りのことをやり、次はもっとレベルを上げてとことん前へ進みたいと思うのです。

 フィリピン旅行の体験は私にとってとても大きく、ハイクラスのレベルの旅行ができて、一期一会の出会いやすばらしい風景、裏の村の佇まい、喧騒の街中など、義母の甥っ子さんがプログラミングして下さったこの旅は、一般の旅行会社のものとは根本的に違います。どれだけのものを私は得ることができたかを振り返った時、私の体験も同じように考えられないようなものをゲストに感じてもらえたかが勝負だと思っています。

 ジャーナリストの女の子は頭の回転が良く、良い時代に勉強できたそうで、そして「客家」だとのこと、今調べて見て、これは重要なことだと気がつき、フィリピン旅行でお世話になった中国人の社長に伺うと、おそらく福建省の方で台湾に近い所に住んでいて、海外に移住する伝統があり、華僑がたくさんいる素晴らしい民族だという返事が返ってきました。

 現在の中国でジャーナリストとして働くことは大変困難で、いろいろなアクシデントがあるようですが、彼女は頑張っていて、ロンドンでも勉強したのだけれど、以前は素晴らしいとところだったのに、今現在はとてもダークに淀んでいる、政府の言うことは正しくなく歪められた報道が蔓延して、圧迫も統制も世界中にはびこっている中で、どうやって生きていくかということを彼女たちは本能的に模索し、優れた能力で進もうとしています。日本の着物生地で作られた素敵なデザインの彼女のチャイナドレスのような洋服は、リメイクしたあまりかっこよくない日本の着物生地の洋服とは根本的に違っているのです。

 従妹さんは私と同じ体型で、もっさりしていて黒いパンツに黒いTシャツを着て、英語が話せないので無表情に佇んでいます。私はこのタイプは大好きで、とことん構いながら話をして翻訳してもらうと、美術大学の学生で繊細な優れた作品を作り出し、好きな画家は日本人の「加山又造」だというので驚きながら、彼女の好きそうな着物を探しました。この前バングラデシュ人のタイファが着た黒留袖がいいというのだけれど、上半身が黒でどう考えても地味なので、芸術家の彼女にふさわしい、大黒振袖を着せました。百花繚乱の手描きの模様が書かれた重厚なこの着物は、大柄で黒髪の彼女にぴったりで、派手な赤い長襦袢、その上に黒い振袖、袋帯に総絞りの赤い帯揚げ、あやさんの形見の帯締めを締めて、豪華な振袖姿が出来上がりました。ダークな色のものしか身に付けないという彼女なのに一番高価な赤や金の小物を選び、赤い花模様の長襦袢は着物の下に着るもので、長い袂からほんの少ししか見えないけれど、それも奥の深いもの文化の一つのだということを、彼女は徐々に理解してきているようです。

 髪飾りを付けてはじめは扇子やバッグを持って恥ずかし気にポーズを撮っていたのが、刀を持たせると豹変して、凄みのある目をしながらカメラに収まり、時々アップのアングルまで要求してきます。この子はこの着物の価値をわかっている、加山又造さんの桜や鶴の絵が頭の中をよぎります。ジャーナリストの女の子は雄弁で色々なことを話してれ、IT関係の記事を書いて日経新聞にも寄稿しているのだけれど、ちょっとおっちょこちょいでお茶のお点前は上手くなく、帰りも和装バッグの中にカメラレンズの蓋を入れて忘れ、取りに戻ってきました。無口で表情が無かった従妹さんは馴染んできて、私が撮ったセルフィにも素敵な笑顔を残してくれました。将来は大学で美術を教えたい、日本文化も着物も大好きになったそうです。良かった